『戦争詩歌集事典』高崎 隆治より、戦争詩を考える。/こひもともひこ
こひもともひこさんのコメント
ポイントおおきに!

非在の虹さん:コメントありがとう。
「戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいたであろうことの理解はできる」のであって、実際にどうだったのかはわれわれには分からないことだと思います。

 >金子光晴と他には?

「金子光春 戦争協力」で検索してみるといいよ。実際に戦争協力詩を書いたのかどうなのかは実物を見ないと分からないけどね。

 >「愛国」にマジ燃えてた

という考えの人がいたことが難しいところですね。

 >実際はわからない?推測は出来るのです。それが歴史を知るという事です。

だから実際に刷られた書物の引用を載せたわけなのですが。
「書かざるを得なかった(のかどうか)」という他人の心境をどうやれば分かるのでしょうか? 
あと、この散文に取り上げた作品をちゃんと読んだのでしょうか? ここに取り上げたものはどれも、戦争協力詩ではありませんよ。

 >あなたはすごく優しい人で、「苦渋の中で国家に協力した人が多い」と考えてらっしゃるよーですが

うーん・・・それを感じ取れるかどうかを詩作品から読み取ってちょ。だから実際に書かれた作品を提示したわけですので。

 >戦後、自ら削除してしまった作品群の発掘は困難だと思います。

だから発掘困難なものの一部を提示したわけです。ちゃんと作品を読んでちょ。

 >誤解なさっちゃいけない。僕はあなたの作品を非難してるんじゃないです。

ポイントを入れてくれた時点で、非難しようという意図がないことは理解しています。

 >金子に関しては、国家協力はないようです。

「ようです」と言われてもね。
実際の作品を見たわけではないので仮定の話ですが、金子さんですら戦争協力詩を書いていたとすると、「戦争協力詩を書かざるを得なかった詩人が多くいたであろうことの理解はできる」と書いた私の文章と繋がるのではないでしょうか。


アラガイさん:コメントありがとう。 
「古い」って・・・。戦前・戦中・戦後詩を集めた最新の資料があるのなら教えてください。

 >でも詳しく調べてどうすんの?ちょっと僕にはわかんないね。

その理由も書いてたんだけど、この作品では省いています。
動機はこんな感じ↓

 旧約聖書の『創世記』を読み終わると、まるでタイミングを計られたように古本屋に出現した『ヨブ記』を読んでいる。同時に、セネカ、マルクス・アウレーリウスのストア哲学派の書物も読んでいる。少し前にシェリー『鎖を解かれたプロメテウス』も読み終わった。ダンテ『神曲』・ミルトン『失楽園』・旧約聖書を読み、ギリシア神話時代の哲学を読み、『クォ・ヴァディス』への関連も分かってきた。そうすると、この時代から連なる西洋詩の歴史のつながりが見えるようになってきた。断片がつながってきたわけだ。まあ、まだまだほんのちょっとの断片なんだろうけど、そういうことが分かってくると、ふり返って自国詩の歴史が知りたくなる。

 私は一応、簡単に手に入る詩人の作品には目を通してきている。俳句・短歌の歴史は知らないが、詩(ポエム)として成立しだしたのは島崎藤村あたりからだろう(新体詩抄や北村透谷でもかまわない)。藤村と同時代を生きた詩人や、そこから分岐していく流れは、わりと理解しやすい。ロマンチシズムがどうこうということではなく、書き方のパターンが七五調から変化していくことと、外国の翻訳詩が入ってくるごとに新しい思想を得て、さらに書き方が変化していくことは、見れば誰にでも分かる。ところが、高村光太郎・萩原朔太郎あたりから、戦後詩人といわれる間に奇妙な溝があり、流れのつながりが見えなくなっている。第二次世界大戦による大きな溝だ。

なので、それを知ろうとしています。


あおばさん:コメントありがとう。
もっと沢山抜き出しているんだけど、著作権切れ(著者の死後50年が経過したもの)の調べがついたもの以外は載せてないので、主義・主張は見えにくいかなと思います。間に挟んでいる私の文章と、引用した作品とだけではちと分かりづらいところがある。
政治性に関しては、あからさまに分かる反政府的なものは載っていません。というか、当時は反戦・反政府的な文章を書いたとしても、どこにも発表できないという背景があります。




ふるるさん:コメントありがとう。
この作品では、終戦・敗戦後になにを書いたのかは問題にしていません。平和になってから、「あの時はこういうつもりで書いた」というような言い訳はどうとでも書けます。たとえば、まど・みちおは戦争協力詩を書いたことを恥じ、高村光太郎は山に篭り、といったことは本作品とは無関係です。西條八十に関しても同様です。

この書籍から私が知りたかったことは、

・有名詩人たちが書いた戦争協力詩(戦争肯定詩)とはどういうものなのかを知る。
・反戦・反政府的な内容のものが書けない時代に、それでもどうにかして反戦的なものを書こうとした人・作品はあったのかを知る。 
・詩史を補完する上でのつながりを見る。

ことにありました。しかし、戦争協力詩はほとんど本書には(詩文が)載っていません。反戦(?)詩については、本文に抜き出した作品だけではちと弱いところがありますが、もっと多くの作品を書き出すことは著作権上やっていません。興味が在れば、私のツイットを追えば読めます。




夏美かをるさん:コメントありがとう。
興味があれば、書籍自体を探してみてください。詩集の批評と一部抜粋とはいえ、ものすごい分量がるので、読み終わったらかなりの目利きになってると思います。

蛾兆ボルカさん:コメントありがとう。
戦時中に書かれたものを調べるのは、詩の方面から探してもなかなか見つかりにくいのが現状のようですね。哲学者や文学者から探したほうが見つかる可能性は高そうです。
 
とよよんさん:コメントありがとう。
戦時詩と戦後詩とをつなぐ鍵みたいなものはまだ見つけてないんだけど、直接的な内容を書けずにいたことが、戦後の難解な作品に伝わっちゃったような気はしています。なんかへんな捩れかたをしたんだろうなと。

闇道ナツさん:コメントありがとう。
野口米次郎は、探せば書籍が見つかると思います。

---2015/10/10 19:06追記---

そらの珊瑚さん:コメントありがとう。
私は、批判をもっとしっかりとしたほうが良かったと考えていますが、じゃあ、誰が批判できたのか? は難しそうだなとも思っています。しかしいずれにしろ、作品をなかったものにしようとする動きがあったことは駄目だと思っています。