夢中になったのは三十分、(それが何日何十日何ヶ月何年何十年も)/ヨルノテガム乾 加津也さんのコメント
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後でコメントを書かせていただきます。^_^
---2013/08/06 22:47追記---
線の仮定から、解釈の自由な広がりをもたせたあと
私という主体が現れて、線の空間創造や認知、希求などをしたという
これらすべてを、線で表すことが試験されている
次に、円(これは線で成る、と読み手は意識させられる)
線らは燃える生命(話者、主体)の足場となって、特定しがたきものへと変化する
これは生命の未知なる可能性だろうか
そしてさらに無限の宇宙では、点の秩序があり
自らの(線、円、立体の集合としての?)命とは何か、と話者は、問う
線は点の集合だから、より根源的なものに向かっているのだろう
点の集まる太陽へ銀河へ
いや銀河、太陽から点として
燃え落ちてきたのか
命のことを聞きに帰りたくなる
今、この或る形のことについて
どの連にも、似た膨張があるために全体のシャープさに欠けた気もするが
必ず訪れる毎日30分のループには、知性を宿した人としての苦悩が
びっしり詰まった闇の深さを見る思いだった
読後には重量すら感じられた
とか書いてみました。
失礼の段はご容赦を