岩尾忍詩集『箱』小論/葉leafツさんのコメント
(毎回読んでいます。この批評文も何回か拝どくさせていただきました。自分の持ち合わせている意識/身体観と照らし合わせて細かいところでひっかかるところなどはありますが(たとえば、「左手を野菜の上に載せ、右手で包丁を握り野菜を切る。このとき、右手と左手は統御されていると言える。」二元論的含意を外したメルロ・ポンティの身体図式じゃないけど、この、野菜を包丁で切る、という一連の行為は〝意識的〝とゆーよりは〝意図的〝な行為だと思ったりとか、、ええと自転車をこいだりゲームのコントローラのパンチボタンを押したりするのは〝意図的〝行為ではあるけれど、習慣化、あるいは道具自体が身体感覚の延長としてシステマティックに組み込まれているから、ペダルを踏んだりボタンを押すたびごとに必ずしも意識や意思決定の必要がないのと似て、、とか、細かくてスイマセン。。)、そーいう引っ掛かりとかも含めて、じぶんの中で普段は考えないいろんなことを内観したり再考してみたりする機会になります。岩尾さんの詩も読んでみたいとおもったし、良い批評文だとおもいました。)