スクエア /竜門勇気凪名木なぎなさんのコメント
前作でコメントを差し上げましたけれど、
翻って本作では感情移入の装置が十分にあります。
けれど最終連では、「車輪」の語にヘッセを導入したとしても、
生か死かの問いを「君」に投げることまでは(少なくとも私は)理解が及びません。
生か死か、それに、悩み続けるか/答えを出すか、話者に求められるのは投げ出すことではないように思います。
---2011/08/14 03:25追記---
前作『僕が生きているとみんな泣かなきゃならなくなる』を読んだ際に、
「この作者は面白い人だな(私はなんでもかんでも“面白い”と形容してしまうんですが、「interesting」と言った方がニュアンスは近いです)」
と感じまして、ぜひ言葉を交わしてみたいと思ったんです。
ですのでお返事頂けたこと、とても嬉しく思います。ありがとう。
お返事の中で特に面白かったのが、
>なぜなら詩を必要としている人は、絵を書きたいのに少ししか絵の具を持っていない人だと思うからです。
>だから、そういう人に写真を渡したり完成された美術を渡すのは、不親切だしバカにしてるとすら感じます。
の部分でして、比喩としても内容としてもある程度共感できる(私自身、自覚的に同様の感覚を持っているのは確かで)のですが、
これに対して批判的な意見を述べるのは実はわりと容易なことなんですよね。
これは直後に、
>(詩っぽい短編小説を読みたい人は沢山いるとは思います。それこそが真の文芸なのかも知れません)
>もっとも自己主張だけで書いた詩もいっぱいあるので〜
とあるので、ご本人としても当然、ご理解されているものと存じます。
>詩を必要としている人は
>完成された美術を渡す
>それこそが真の文芸
あたりの、いかにも一括りにされてしまったドグマ的な語句にツッコみを入れるのは、
文章全体の意図するところからすれば揚げ足取りの性質を帯びてしまうので辞めておきますけれども、
あなたの面白いところは、むしろそういったものが渾然一体となってカオスを形成しつつ、
なおかつ、言葉の端々に一本の筋を貫き通そうとする意志が漲っているところなんです。
さて、そんなあなたですから、本作の最終二行は
>本当に生きてていいのか?
>僕が生きていて本当に君は幸せか?
と自らのIDを求めたり、赦しを請うものにはならないはずだと私は思うんです。
>そして主人公は生きる意味を探します。
>彼は君の幸せを探します。生きた時間と死んだ時までの意味をです。
とおっしゃるならばそれはなおのことだと思います。
※実のところ、まだあなたの作品を数篇しか読んでいないんですが、おいおいゆっくりと読ませていただきます。
楽しみにしておりますよ^^