餃子男/salco
るるりらさんのコメント
作者以外の方に 質問があります。
私はこの詩が解らない点があります。政治家についての痛烈な批判も 公の人たちだから そのようなものだと理解できるのですが、「日ごろから鼻についていた大阪人の自己顕示型中華思想に、大阪人以外の県民が噛みついた。」と いう空想は みなさまにとって 楽しめる内容だったのでしょうか?
 
筆者の方が、どこの地方にお住まいなのかは明確でないまま、西日本の人間は 大阪に対して負の感情をもっているという想像を読み手に与えています。卑怯に思えました。本人の意見として書かれているのならともかく、西日本の人間がそう思っているという論法なのです。広島在住の私にとって 不愉快でした。大阪の方に対しても失礼ですし 中国の方に対しても失礼だし、なにしろ私自身が嫌でした。

また、広島のお好み焼きは 広島が本場だということは、広島の人にとっては当たり前のことなのです。しかし、それを口にしたら 一般の方たちは大阪の方に噛み付いたことになるのでしょうか?広島のお好み焼きについて、みなさんは こんなことをおっしゃる方がいるということは、広島のお好み焼きの歴史について 案外 ご存知の方はすくないという事なのでしょうか?

広島のお好み焼きは、先の大戦で焼け野原になった地で 鉄板をみつけて調理道具にし、食料も乏しいなか とくに米が乏しい中、 創意工夫で今の形にしたのが、広島のお好み焼きなのです。しかも 店をだしておられた方に多いのは戦争未亡人の方たちでした。ないないずくめの状況で無から有を生み出した文化なのです。

小麦が高騰したら人の心が荒れるというのは わからなくもないのですが、私以外の みなさんは ほかの食料があるというのに 人の耳が餃子にみえて噛み付くという文章は 娯楽として楽しめたのでしょうか?私は嫌でした。

私は小麦の高騰もあり勤めてパン屋が廃業したという経験があります。たしかに人の心は小麦が大切な環境では荒れておりましたが、人の耳が餃子に見えるという猟奇さを、みなさんは その毒を 楽しまれたのでしょうか?

私自身が冗談のつうじない性格だと詩人ではないような気もして みなさんに うかがいたいのです。この詩は 一体なにが表現されていると みなさんの場合は お感じになられたのでしようか?

私の感覚は、詩や文章を楽しみとするものとして 間違えているのでしょうか?