戦後詩ーユリシーズの不在ー寺山修司を読んで感じたこと/……とある蛙
AtoZさんのコメント
>詩を書くものは嘘つきであるべきだ。

たんなる「嘘つき」ではつまらない。
そのウソはフェイク(騙し)であるべきだ。
読者を騙して、ひとりくつくつと子どもっぽいいたずらまなこを輝かせている。
そんな詩人の微笑が一番好きだ。

それから、
>貧相な詩には貧相な人格が透けている。
これはちがう。
貧相な詩なんていう選別は、意味がない。
「貧相な詩」なんかそもそも存在しない。
クジラにもミジンコにも同じ目があり心臓があり尻尾がある。
変わる物なんてなにもありはしないのだ。
退屈な詩というものがあったとしても、
詩として書かれたものに貧相もくそもない。
生意気なこというようですが、
文学を人格の問題に還元してはいけない。
丸ごと愛したいのなら、
それを忘れないでほしいとお願いします。