戦後詩ーユリシーズの不在ー寺山修司を読んで感じたこと/
……とある蛙
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
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吉岡ペペロ
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プル式
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kauzak
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beebee
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
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AtoZ
>詩を書くものは嘘つきであるべきだ。
たんなる「嘘つき」ではつまらない。
そのウソはフェイク(騙し)であるべきだ。
読者を騙して、ひとりくつくつと子どもっぽいいたずらまなこを輝かせている。
そんな詩人の微笑が一番好きだ。
それから、
>貧相な詩には貧相な人格が透けている。
これはちがう。
貧相な詩なんていう選別は、意味がない。
「貧相な詩」なんかそもそも存在しない。
クジラにもミジンコにも同じ目があり心臓があり尻尾がある。
変わる物なんてなにもありはしないのだ。
退屈な詩というものがあったとしても、
詩として書かれたものに貧相もくそもない。
生意気なこというようですが、
文学を人格の問題に還元してはいけない。
丸ごと愛したいのなら、
それを忘れないでほしいとお願いします。
作者より:
仲 仲治 さん コメント・ポイントありがとうございます。
吉岡ペペロ さん ポイントありがとうございます。
野の花ほかけ さん コメント・ポイントありがとうございます。
AtoZ さん コメントありがとうございます。
これは30年来の付き合いの先輩に向けて書いたもので、自分が参加しているSNS(Mixiではない)の日記欄で以前書いております。
訂正履歴:
題名一部落としてしまった。
10-3-29 16:34
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