詩を書く人のすべてが詩人じゃなくていい/たりぽん(大理 奔)
石畑由紀子さんのコメント
読めてよかったです。ありがとう。

追伸・五段目を読んでのあれこれ
ずっと考えていたことがあります。私の文字表現は、この地層で土器になれるのだろうかと。
「形にする」ことは本当に「残る」ことなのだろうか、私の文字表現は果たして残り得るのだろうかと。記憶の中に私を持つ者は百年を待たずに皆入れ替わる。血肉の継承者もいない私は、ほどなくこの世のどこにもいなくなる。私の存在ごと、やがて知られない、認識されない者となるだろう、そこを経てなお私の未熟な詩や文章だけが語り継がれるとはとても思えなくて。
たとえるなら私という存在は、いつか考古学者が発見する土器のまわりに付着する塵程度かもしれない。この命ごと時代という地層に閉じこめられてゆくだろう、それまで、土に還る前の紅い落葉のように今この時を生きているようにおもいます。紅い落葉として認識されるつかの間、私を、どうか憶えていて、と。たりぽんさんの言葉を借りれば、それが群れに向けた私なりの個の追求かもしれません。ほんとはね、土器に、焦がれているのだけど。要精進。

そんなことをずっと考えていたせいもあって、この文章がすっと沁みました。