異形の詩歴書 高校編その3/佐々宝砂
だけがあって、物語がない。ヤマがない。オチがない。イミがない。いわゆる「やおい」とは別物だが、作者の快感原則にのみ基づいて描かれる、いー加減かつテケトーな作品という意味において、当時の私の作品群は、全くもって「やおい」そのものであった。正直、ひどい出来だった。
ところで、無責任に断言するが、ヤマなしオチなしイミなしの垂れ流しが新しかったことなど、ない。そんなもん、いつの時代も、どこかにあった。みっともなくてこっばずかしいので作者の手で隠蔽されたり(私は高校時代の文章の大半を焼いてしまった)、あまりに無意味でアホらしく腐りやすいので時代の波に消えてしまったりしているのだ。嘘じゃない。明治の新
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