近代詩再読 立原道造/岡部淳太郎
は世になかつた」と思っていた詩人が、「心に感じてゐることを僕の言葉で言ひあらはさうとはもう思はない」ほどの自然の美しさを感じ取るのだ。「僕はこんなにも小さい、さうしてこんなにも大きい」という目醒めを感じる断言は、詩人が感じ取った自然の美しさと同じように美しい。
だが、残念なことに(と言うべきだろうか)、この詩はここから先、せっかく獲得したはずの目醒めの瞬間を手放して暗い諦念の方へと傾いてしまう。「? 墓地の方」から最後の「? 旅のおはり」までの流れは詩人が「夏」の盛んな勢力の凋落を知る過程であり、そこにはもう美しい詩はない。「旅人は 空を仰いで のこして来た者に尽きない恨みを思つてゐる/限りな
[次のページ]
前 次 グループ"近代詩再読"
編 削 Point(15)