近代詩再読 立原道造/岡部淳太郎
りない悲しい嘘を感じてゐる」(「? 旅のおはり」)のだ。せっかく第?章で至高の詩的高みにまで達していたのに、終盤がこれでは詩の構成として失敗ではないだろうか。もし立原道造がもっと長く生きていたなら、この詩的高みを充分に抒情の中に溶かしこんだ一大傑作が書けていたかもしれない。
夭折詩人というものは、いつもどこかに物悲しさを感じさせる。立原道造の場合はまだ二十四歳という若さであるからなおさらだ。もっと長く生きていればというのは、後世の読者の勝手な恨み節に過ぎないのかもしれない。多くの可能性を秘めて、まだまだこれからという時期に詩人は亡くなった。後には壊れやすい透き通るような抒情が残されただけだ。
(二〇〇六年三月〜五月)
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