近代詩再読 立原道造/岡部淳太郎
 
形式の詩もある。短い詩ではあるがソネットという定型からはみ出した自由詩もあれば、いくつもの章を連ねて書かれた長い詩もあるし、意外なことに散文詩さえある。詩人自身はこれらの「脱・定型」とも言える詩を自らの本流の詩として認めていなかったかもしれない(それどころか、詩作品として認めていたかどうかも怪しいかもしれない)。だからこそ、生前に刊行された詩集には収録されなかったのだろうが、僕はこれらの拾遺詩篇に早世したために発現しきれなかった詩人の可能性を見る。


咲いてゐるのは みやこぐさ と
指に摘んで 光にすかして教えてくれた――
右は越後へ行く北の道
左は木曾へ行く
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