挨拶、あるいは悪文修行時代/墨晶
 
 
 
 根拠の雉鳩色は空の濁りである。蓋し、悲しみはわたしの本日なのだ。
 屋台が引き寄せる天命の片隅で、ホットドッグは寂寞の内的公園であると同時に、云うまでもないが、珈琲のアナロジーは肉片を胃に流し込むための気化する紙コップなのだ。その時、容赦のない無人はすべての誰かである。
 構成されるあらゆる長椅子が木材と金属であるようでいて、そうではないなら、どうでも良い暗喩として、束の間のねむりは僅かに曲がった鉄砲草の均衡と云って良い。従って、わたしのあらゆる毛布がインクの馨りであるように唱えよう・・・待った、やはりそれは駄目だ(申し訳ないが、それに関しては後述するかもしれない)。今の処は只静
[次のページ]
   グループ"典禮ノ書"
   Point(3)