庵魔璃打!この配牌!(詩の話)/虹村 凌
そしてその言葉は、ただの文字として、そこに置かれる。
音楽と合わせれば歌となり、リズムに合わせればラップになる。
ただ、言葉のみとして置かれた場合、状況は厳しいと思う。
まず、五感に対する揺さぶりが小さい。興味を引きにくい。
そして「詩」と言う陰湿なイメェヂを、なかなか脱しない。
朗読として出した場合、音楽と同等程度の効果を得る事が出来るだろうが、
それ以上には成り得ないと思う。決して歌じゃないのだから。
ステージで詩を朗読する時、自分の作品を見ながら…と言うのは非常に間抜けだ。
それこそ公開オナニーもいいトコだ。馬鹿だと思うし、未来も見えなくなる。
自分で書いた詩を、ステー
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