批評祭参加作品■砕かれていること/石川和広
晩年呆けてしまった。バタイユの父は進行性の梅毒で脳をやられ精神障害だったそうだ。そのことがバタイユに影を与えている。
バタイユは、真っ白になってしまう時間にも精緻な思索と等量の価値を与えたのではないかと思う。詩を書く上でも、自分の底に「白痴の自分」を置くこと。それは自己の作品をより完璧にすることではなく、より儚いもの、砕かれたもの=死のようなものとして提示することに必要である。
一方に完成の意志が働いていることが重要である(バタイユには大向こうにヘーゲルがいたし、ニーチェにはプラトンやいろんな人がいた。それとの勝負で「弱さ」が重要だったのだ)が、自分がより砕かれバカになって行くことは詩
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