批評祭参加作品■砕かれていること/石川和広
は詩には必要だと思っている。自分がそこに届いているかはわからないけれど、だからこそ、こういうふうに書いておく。きっと粉々に砕かれた人は私が書くようには書かない。力説するより、その過程を黙って曝しているはずだ。
三つ子の魂百までという。僕は自分の変わらなさを味わう。けれど、僕は自分の変わらなさをとことんまでは味わっていないと思う。自分のどうしようもない変わりがたさを味わい続ける過程が恐らく「内的な変化」といえるはずだ。その変わりがたさは一生くみつくせることはないだろう。そのようなわからなさが恐らく意味の源泉である。意味とはわからないものが放つ無限の色彩と音楽だろうか。
2007.9.22初出(後部分的に改稿)
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