批評祭参加作品■「 そやから何で阿呆やねんやろとツッコミ待ちで考えてみる。 」/PULL.
の」なのである。「阿呆みたい」と「阿呆そのもの」との間には「北緯三十八度線」よりも暗い河が、いつの時代も流れているのである。その暗く冷たい河を泳ぎ越えて知性からの越境を果たしたとき、我々ははじめて、身体の隅々まで染み付いた「阿呆みたい」が洗い流され、「阿呆そのもの」に生まれ変わるのである。
またまた阿呆である。この書き方も四度目の阿呆である、なのでこれを読んでいるあなたからもそろそろ「四度も同じ書き方を続けるなんて、やっぱこれを書いてる人って阿呆なんだ。」と思われているかもしれないが、阿呆なのである。阿呆とは日常であり人生なのである。日常といえば筆者は友人知人に対して「阿呆かおまえ。」と思うこ
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