静かに、なるべく静かに(アスパラガスさん讃1)/渡邉建志
の強い訴えかけに対して、
レストランは渇かないよ、という合理的判断はオレンジの皮一つの役にも立たない。
オレンジジュースを飲まないで、レストラン「でも」渇いているのは
「わたし」と「かれ」のはずじゃないか、と合理的判断は言う。
でも、ここで突然歌う人は、レストランが渇いたのだという。
しかもとても強く。
「なぜレストランは渇いたの
なぜ夏が終わったの」
そう訴えかけられてしまったら、合理的判断なんて全部飛んでしまって、
「なんてこった」と思うほかない(借りました)。
詩人の他の詩に「心底なんてこったと思った」、と友人が言って、
ほんとうに、僕も、こんな駄文など書いていな
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