眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
らする朝
つめたい空気のなか
すきとほった そらのしたで
両手をひろげて
わたしは待つ。

ふってくる
ふってくる
あたり一めん
きいろい切口を見せた
枝の大群が
たかく にほひを
まきちらしながら
大地 めがけて
ふってくる。

むね一ぱいに
ばさばさと音たてる枝に
顔をうづめて
わたしは この
かほりたかい
あいに
じっと
くちづけする

須賀は後年、イタリア詩の訳をするときに句点を多用することがあって、それが面白いと思っていたら、実際に自分でも使っているのを見て、あっとおもった。実際には訳詩では、読点もよく用いていた
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