眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
いたが、この「詩集」においては、読点は数箇所しか使われていない。少なくとも、編集されて活字化された形では、そうだ。一方、手稿には読点のように見える黒点があるようなのだが、モノクロ写真なので、紙の汚れに過ぎないのかもしれない。それは実物を見ている編集者にしかわからない。編集で読点を削除している可能性はあるものの、読点の使用は非常に限られていることに変わりはない。さて、読点の代わりによく用いられているのはスペースだ。編集者はこの詩において、私が手稿からスペースを置きたい気持ちになってしまった、「大地 めがけて」と「わたしは この」のスペースを、置いていない。たしかに、手稿において、これらの空間は、編集
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