眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
いで書かれている理由は、須賀が日本を離れてローマでひとりで書いていること、須賀が賢治や道造以前の日本語詩を愛していたこと、そして読まれるときの音としてゆっくり読まれたいこと、などだろう。
私がこの詩で好きなのは、「かほり」と「かむり」の韻を見つけたときの、うれしさがみちていることだ。また、黄金を「きん」と読ませるのも好きだ。これは須賀お得意の方法で(「でたっ」と私は言う)、後年も須賀はこれを訳詩で愛用しているのだが、これは誰かから引き継いだものか、須賀が発明したものかは分からない。色の言及が多いこともこの「詩集」の特徴である。現代詩の技巧としては、色の形容詞を並べることはひょっとして好ましくない
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