眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
以降はおそらく詩を書かなかった、少なくとも、手元には残さなかった。私には、あなたが、そのころ、たいせつな宗教体験をイタリア(おそらく、《あなたの尊敬したシモーヌ・ヴェイユがそうであったように》アッシジで)受けたからではないか、そして、その経験を、敬虔に、残すためには、散文では背負いきれない、詩作による思索が必要だったからではないかと、そしてあなたは、その思索を、新鮮な形のままで、誰にも見せないでいつまでも手元に残したかったのではないかと、そんな気がするのです。
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Ave Regina Caelorum
くちには
いっぱい
もいだばかり
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