眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
たは友人ではなく、もっぱら、神と会話している。だからこそ、比喩によるユーモアや説明が必要なくなってくる。あなたの作品に張り巡らされている、登場人物たちの人間味、と言えるようなものの代わりに、ここには人間ではなく、自然が、光が、(思い切っていってしまうと、恩寵が、)ただそこにあり、それがあなたひとりに、(友人たちとの交わりのなかではなく、)あなたひとりだけのうえに、降ってきている。あなたはのちに、こんなことを書いた。若いときには、「自分がほんとうに理解できるのは自然にかかわる抒情しかない」、「自分にとって詩人になるほか、選ぶ道はないように漠然と思いこ」むほど、「自分は散文よりも詩が好きだ、という、天
[次のページ]
  グループ"フレージストのための音楽"
   Point(2)