眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
情詩技法が駆使されていて、形式の完成度は現代詩人には稀有」、「いつもきちんとした職人の態度を失わない厳しい詩への姿勢」をもち、「詩人の独善を神秘性などと詐称して読者に押しつけたりしなかった」(『ミラノ 霧の風景』)。これがあなたの好きなサバについての評価であり、全く同じではないにせよ、特にこの形式への愛が、あなたの若いときに夢中になった上田敏や白秋や泣菫や晩翠、さらには賢治や中也や道造にもつうじていて、それらが、日本の現代詩においては失われ、ただ柔らかいだけであったり、賢しらであったり、世界の痛みと無縁であったり、晦渋なだけであったり、高貴でなかったり、きちっとしていなかったり、音楽性がなかったり
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