眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
代詩人ザンゾットについて)という詩にも出会えなくなった、とあなたは感じていたのだと思う。
ただ、あなたは形式を持たなければ詩ではない、と言っているのではない。イタリア現代詩人カンパーナについては、韻文詩の形式の弱さを「その韻文詩法が完結した形式を持つに至っていない」(『イタリアの詩人たち』)と指摘する一方、彼の散文詩を「緊迫した、たたみかけるようなリズムのうねりに貫かれた、密度の濃い、たましいの夜の世界」(同上)と称揚している(ただし、ここで散文詩においてもリズムを問うているわけだけれども)。形式やリズムの彫琢も大切なのだけれど、あなたは内容面からも現代詩について、厳しい。
「詩を、読まなくな
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