眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
の国に確立されていたら(略)」(『遠い朝の本たち』)ここでも日本では詩をやたらと分け、「普遍的」、「本質的」に批評されることがないことを批判している。「孤児化したこの詩形が、やがて『職業』詩人たちの手に落ち、子規自身が見下した江戸末期の俳諧師とおなじように、師と権威を結びつけることになるのを想像しただろうか。」(同上)というのも火のように烈しい批判であるし、いわゆる俳人や歌人と隔離されない詩人に関しても、「日本の詩人たちはベレーをかぶることでごまかしてた(笑)。それがわたしは嫌いだったわけ。なんだかインチキくさくて。わたしはほんとうの詩人に会いたかった。慶応にいた時には西脇順三郎さんがいて、西脇さ
[次のページ]
次 グループ"フレージストのための音楽"
編 削 Point(2)