眉のあたりにすずしさの残る少女みたいに/須賀敦子とその「詩集」について/渡邉建志
 
くかによって詩人の呼ばれ方が違うし、うっかり「詩人」とくくってしまったら叱られたって。この国ではポエジアというもの、詩というものがどういうふうに造られるのか、わたしたち自身にもよく判っていないかもしれない。やたらと分けるのが好きなのかな」「(池澤:いや、肩書が好きなんですよ。だから細かく分ける。に対し)でも、家元みたいなこともあるんでしょ?(笑)」(同上)日本ではポエジアがよく判っていない、というのはとても思い切った、強い主張ではないか。
「もし、俳人あるいは歌人を、詩人という言葉から隔離する習慣が日本になくて、この詩形ないし作品をより普遍的、本質的な批評言語の対象とする習慣がもっとはやくこの国
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