■批評祭参加作品■日本の詩における韻律の歴史/岡部淳太郎
 
だが、それは目に見えないから幽霊のようなもので、ひとりひとりの書き手が自分の感覚を信じて組み立てていく他ないものだ。内在律というのは、行分け詩の場合は改行の仕方に、散文詩の場合は文章のリズムというものに、それぞれちらっと顔を出す類のもので、ここを失敗するととたんに詩がだらしなく見えてくるという何ともやっかいなものだ。つまり、逆に言えば、自由詩が「自由」を獲得するために韻律を犠牲にしたことと内在律の難しさは正確に比例していることになる。このへんに現代の現代であるがゆえの難しさ、詩に当てはめると、多くを語るために形式が崩されていくということ、その困難が露呈していると思うのだが、そのへんはまた別の話だろ
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   グループ"第2回批評祭参加作品"
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