■批評祭参加作品■日本の詩における韻律の歴史/岡部淳太郎
だろう。一時期、九〇年代に入った頃だったと思うが、飯島耕一が「オジヤのようになった現代詩」に異議を唱えて定型詩を試みたことがあったが、それも現代であるがゆえの困難の延長上で現代詩を回復させるための試みのひとつだったのだろう。
時は流れ、時は二十一世紀の扉を潜った。ここに来て、日本の詩は新たな段階に入りつつあるように思える。歴史がひと回りしたのだろうか。韻律ということに話を絞っても、古典的な七五調を詩行にまぎれこませる者もいれば、自由詩的な内在律のみで書く者もいるし、シェイクスピアばりのソネットを楽しむ者もいる。それらの韻律の混合したタイプの詩もある。まさに何でもありといった感じで、現代的な混迷の度がさらに深まっているとも言えるが、いまここにある詩、いま書ける詩を、それぞれがそれぞれのリズムで生み出している。リズミカルにステップを踏みながら、詩は相変らず詩でありつづけているのだ。
(二〇〇七年一月)
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