■批評祭参加作品■詩の読み方について/岡部淳太郎
 
のは「散文は動画であり、詩は静止画である」というものだ。先ほどのヴァレリーの定義とさほど変らないように見えるかもしれない。だが、ヴァレリーの定義は実作者としての視点からのみ語られているように思える。読者の視点がぬけ落ちているのだ。さらに言えば、詩を舞踏にたとえるのは少しばかり高踏的に過ぎるように思う。いかにも芸術的すぎるように思えてしまう。歩行と舞踏と言うのではなく、動画と静止画と言った方が現代の人にとってはずっと通りがいいだろう。しかも、散文を歩行にたとえるのは、ヴァレリーより後の現代小説の発展と進化を考えると似つかわしくないような気もする。詩のような散文や散文のような詩があふれかえった現代にお
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   グループ"第2回批評祭参加作品"
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