「名」馬列伝(3) オースミダイナー/角田寿星
 
でほぼ終わりを告げたものだと思っていた。当時、「都落ち」した馬たちの末路は、だいたい決まっていた。しかも6歳という高齢。
復活を果たした稀有な成功例は、4歳で笠松に転厩したフェートノーザンしか知らなかった。そしてフェートノーザンでさえ、競走中止、予後不良という、悲しい結末を迎えたのだった…
まさか、この6年後、それからさらに7年もたって、彼の嬉しいニュースを耳にすることがあろうとは、夢にも思わなかった。

彼の転厩時には、まだ道営競馬というネーミングが一般的だった。中央地方の交流重賞は、大井の帝王賞と東京大賞典、札幌のブリーダーズGC、そして中央のオールカマ−くらいだった。いわゆる「
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