「名」馬列伝(4) ツキノイチバン/角田寿星
りはしない。むしろスタッフと彼自身の辛抱と情熱があってはじめて、いつ能力喪失してもおかしくない状態のなか、ここまでの戦績をあげることができたのだ、とは思う。
しかし。彼の最期のレースの出走時すでに、肢の状態が思わしくないことを、実は噂されていたのだ。
せめてもう少し脚元がよくなるまで、長期の休養はかなわなかったのか。あるいはアエロプラーヌやコトノアサブキ、フェートノーザンなどを再生させた実績のある笠松や道営、岩手の「名人」たちに、その手を委ねる勇気はなかったのだろうか。
当時の南関はレベルの地盤沈下が激しく、中央で好走できる馬がほとんどいなくなり、そんな中で久しぶりに誕生したスター
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