風のオマージュ その9/みつべえ
 
に」「しづかに」「身をおこす」「だれか」も実体が希薄である。そして、あろうことか「そのひとは だれでもいい」し「だれでもない」のだ。
 これは、はじまったと思うまに終わっている物語。つまり実際には何も起こってないのに、言葉だけで仮想されてしまった世界ではないのか。立原の詩にはこうした虚構性がつきまとう。その繊細華麗な語法に酔いしれながらも、どこか「オイオイ、ソレハ、ホントナノカ」と思うことがしばしばある。素朴な感情の発露ではなく、言葉のみで世界を再構築しようとしたような。その意味では立原の詩はきわめて現代的だといえるが、なにやら胡散臭い印象を常に払拭できない。そう思うのは夭折という事実に深く関係しているのだろうけど、私においては最初の出会いが便所の中だったせいなのかもしれない(笑)。
 立原道造ファンのみなさん、ゴメンナサイ。



●立原道造(1914〜1939)

東京日本橋に生まれる。中野区江古田の療養所にて死去。生前に刊行された作品は、詩集「萱草に寄す」と「暁と夕の詩」に収録した二十篇にすぎなかった。


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