サクマ式ドロップスの思い出/快晴
 


有り得ない話だが、私はあの映画を見ていると本当に画面の中に入って、あの兄弟を救ってやりたい気持ちになる。しかし、もちろんそんなことは度台無理な話であり、いつも見終わった後に何とも複雑な感情を持て余すことになる。何度も見たとは言っても、最後に見たのはいつだったか思い出せない位前である。だから主人公の少年の妹の名前が「セツコ」であることは思い出せるが、主人公の少年の名前すら今では思い出せない。

しかし、それでもサクマ式ドロップスのあの缶を見ると、私は即座にあの映画を思い出してしまう。だから時に誰かが「飴、食べる?」と言ってあの缶を取り出すと、なんとなく喜んで即座に手を伸ばすことを躊躇する。
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