詩を描く、という個性/はらだまさる
 
で、それこそ必死になって、他者と繋がろうとしているのである。ここで確認できる自己、即ち個性によって、またその断絶を実感することによって、我々はある時期に、心に大きなキズを負う、ということが云えるのではないのだろうか。このキズによる痛みほど、明確に個を際立たせるものはない。そして、この心にキズを負うという「体験」は、優れた芸術作品やあまりにも美しい自然にふれたときに起こる「感動」というものに似ている。恋に落ちることも、ずっと心に残る芸術作品も、その瞬間にしか味わえないような自然との出会いも、心にキズを負った状態と同じ「体験」であり、「感動」なのだ。そのキズには快と不快の違いこそあれ、キズであるという
[次のページ]
戻る   Point(3)