詩を描く、という個性/はらだまさる
 
ず個性というものを考える場合、名前そのもの、そのコトバというものが、他者(=世界)と自己とを断絶するために、ナイフや鋏のような役割を果たしているということを知らなければならない。
 そして、次に個性を語る上で大事なことが、「体験」または「経験」というものだろう。我々はコトバ、という共有され、記号化された知識によって、誰かと繋がろうとしながらも(他者と繋がる必要性を感じていないという場合においても、無意識に繋がりを欲望する人々を含め)、大抵の人々において、他者と繋がる手段としてそのあまりにも個人的な「経験」、及び「体験」をコトバにすることで、他者と自己とを断絶しようとする、極めて悲劇的構造の中で、
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