文学史的演説/ダーザイン
 
いな詩を書き散らす、この最悪の老害の詩を、俺は、彼の若い頃に書いたものもすべて、一度たりとも感心したことがない。老害ばかりじゃないぞ。久雅稚とかいう坊主の詩は糞みたいなつまらない日記だし、小笠原鳥類とかいう屑はもはや言語冒涜者だとしか言いようがない。文学極道の罵倒用語で言うところの「ゴミの山」。

二 狂気と宇宙の熱死推進に関する現象学的考察(妄想)

 ダー・ザイン=現・存在は常に予め意識の指向性の中に絡めとられている。即ち人の生誕とは虚無の淵より嫌がおうも無く世界という関係性の中に放り出されることを意味するわけだが、ここで注意を要することは、「関係性」とは何らかの確固たる「主体」と「
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