技術論とミロのヴィーナス/いとう
 
技術や修辞について言及すべきであるなんて毛頭思っていない。原口氏が述べている「修辞法や技術論を基準にすえた批評行為には致命的な欠陥がある。それは作品の作品内意味のみをすくいとるといったことでは当然有効ではあるけれども、名付けようのないもの、たとえば作者がその作品を書かなければならなかった理由にまでは決してたどりつけないし、そもそも予めそんなことを視界のうちに置いていない。」という意見には深く賛同する。それが「致命的な欠陥」であるかどうかは意見を異にするが。

 私自身が技術等への言及に向かっていったのには理由がある。いわゆる印象批評から脱却したかったのだ。印象批評は、客観的な根拠からではなく、
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