いつまでたっても分からないことについて/宮川三太郎から
も合理的なプロセスのもとで行われているわけではないってことね。あたしがおもしろいと思うのは、この「ゴミ箱モデル」って1972年に提唱されてんだけど、要するに、まだ、今日迎えているような情報化社会を想定した話じゃないわけ。あたしたち取り巻く環境ってのは、メディアの多様化によって、とんでもない量の情報が毎日押し寄せるわけ。それが、ゴミかゴミじゃないか判断するのに、いちいち合理的なプロセスなんて踏めるわけないわよね。あたしたちは、何も選んでいないのよ、って言い換えた方が現代詩的かしら。でよ、何も選んでいない、何も選べないあたしたちがどうするかっていうと、論理に拠らない感情共同体を形成しちゃうのよ。論理的
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