感想の感想/アマル・シャタカ
 
ないような世界である。だからこそ問い続ける。外側から赦しを与えられても、本人がそれに満足しなければ意味が無い。赦し、というのは最終的には、自分自身で自分を赦すということがなければ、当人は救われようがない。人は孤独に弱いから、他人を求めることはある。「こんなどうしようもない自分」を「赦してくれる他人」が欲しいというのは、確かにあるが、その前に必要なことが「どうしようもない自分を自覚すること」、すなわち、自分自身への「赦し」である。

>「生きていることはそんなに羞づかしいことなのか!」と書き込みがされていて(たぶん前の持ち主が>書いたのだ)、思わず笑ってしまったことがあった。

と原口氏は書
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