感想の感想/アマル・シャタカ
 
に対する姿勢であり、礼儀であり、求道であると思う。例えは悪いが「愛するこの女にとって、自分という男は何か?」「自分にこの女性を愛する資格があるか?」というのと似ていると僕は思っている。
 自分の愛するものに対する崇高な思いがあるからこその、求道であり礼儀であり問いかけなのである。したがって、原口氏の

>つまり氏においては、内側からではなく外側から、絶えず自らの呼吸が肯定されていなければならない>のだ。それは「あなたは呼吸していてもいい」「あなたは生きていてもいい」というような赦しに似ている。

という文章も、僕からみれば少し方向が違うと思うのだ。「求道」というものには、答えがあってない
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