◎吉増剛造覚書?ハルキ文庫版「吉増剛造詩集」感想 /石川和広
を文字化すると距離ができて体験の鮮度は死ぬ。
しかし、書かれながら、書くという体験を生き、その歩みを一点一点、刻印していく場合は、違うのではないだろうか?その刻印の軌跡が書かれている。まるで、歩きながら書いているような印象は、それと無縁ではないだろう。私の参加したクローズドの読書会では、無駄が多すぎるという人もいたし、宮沢賢治のように歩きながら書いているのではないかという人もいた。
もちろん、ハルキ文庫だけですべては語れないだろう。しかし、文字化した=テキスト化したドキュメントという形は、昔から吉増に現れているように指摘できるのではないだろうか?
紫の
魔の一千行
天山山脈に
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