視覚詩と北園克衛 (と私の好きな視覚詩)について/ふるる
 
)と、文字によって浮かび上がった余白というのがあると思っているので、視覚詩から文字(か文字のような記号)を排除するのはいやです。
(ちなみに、文字の造詣の美しさ・・・というのにはあんまり重きはおきません。というか、それは書道でやっているし。)
かといって、文字を完全に「もの」として見て、文字の意味を問い直す、とか文字の面白さを発見とか、文字自体に重きを置いたのもなんか微妙に違うと思っていて・・・。
オイゲン・ゴムリンガーと言う人の、「沈黙」なんか、意味的にも絵的にも「沈黙」を感じさせて美しいんだけど、ちょい、おしい、止まってる、もうちょい、時間が流れて欲しい、みたいな感じで・・・・。
「沈
[次のページ]
[グループ]
戻る   Point(16)