短歌と言う形式へのリスペクト/山田せばすちゃん
 
ら、飴と鞭で訓練すれば、あるいはお猿の次郎君でもバナナ食うのにフォークとナイフくらいは使うかもしれないし、すべてのレイプ犯罪は死刑に処すとでも刑法を改正すれば、巷の若い衆はこぞってお姉ちゃんと和姦に持ち込む手練手管を駆使するようになることは間違いない。それでもそれは決して「文化」的な事例ではない、と俺は思う。
なぜならそこには「段取り」へのリスペクトが全く無く、あるのは「段取り」を踏まなかったことへの罰則に対する怖れだけなのだから。
すべての「文化」としての「段取り」には強烈な罰則規定は無い。そこにあるのは、行為の主体がともかくも自らの欲望を充足するのにある種の「段取り」を踏もうという意思
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