短歌と言う形式へのリスペクト/山田せばすちゃん
意思、であり、その「段取り」以外の方法では欲望を充足し得ない、という強烈な「段取り」へのリスペクトなのだ。この「屈折」こそが真に文化の名に値するのだ、と俺は信じる。
そういう意味で俺は、飯はやはり茶碗と箸使って食わないと食った気がしないし、お姉ちゃんとは和姦じゃなきゃやった気がしない…非常に「文化人」だという自負がありますが(笑)
さて、ではこの「欲望の充足」に「自己表現」を、「段取り」に「短歌」を代入してみよう。
行為の主体がともかくも「自己表現」の手段として「短歌」を選択しようとする意思、「短歌」以外の手段では「自己表現」をし得ないという、強烈な「短歌」へのリスペクト…そういうものを感じ得ない「短歌」は全部まがいもんです。
を、なんかかっこいいテーゼになったじゃないか(笑)
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