土佐日記からおんなへ/石川和広
か詩の世界を眺めても、おとことおんなのいい感じの対話は見られにくい。短歌の世界なら恋歌という形があるが、詩の場合、おとことおんなが対等に渡り合う文体はまだ出来ていないのではないだろうか。
これも異論があると思うし論じられる人は論じていただきたい。
世代の問題もあるけど、谷川俊太郎でさえおんなを歌うとき、不遇の影が差してくる。
そこが谷川でもあるけど、谷川は、いろんな人に読まれる書き手だから根は深いのではないだろうか?詩の言葉で「おんなに」語りかけながら、その向こうに暗い影が差している。
僕は性のことはあまり語らないけど、そして現在不能なので困っているのだけど、三年前の同棲崩壊から、僕はおん
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