霧の様な死あるいはナルシシズムについて/立原道造を読む/渡邉建志
 
だけのセンチメンタリストを前にしているのだから、僕だってちょっとくらいこう、センチメンタルになったっていいじゃないかと思った、

僕は中学以来、立原の詩を読んでみたこともなかった。僕はあえて彼を避けてきたのかもしれない。夢見るようなあの口半開きの表情の写真を教科書に見て以来、、そして、死や結核というようなはかなさにあこがれる視線というものを自分のなかに自覚していたからこそ結核で美しく死んだ彼を避けていたのかもしれない。ある日、僕はいつもなら素通りする立原道造記念館の前に立ち、立原道造の生涯を書いた小さなパネルを眺めていた。24歳8ヶ月で詩人は死んだと書いてあった。ショックだった。僕よりも若くし
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