霧の様な死あるいはナルシシズムについて/立原道造を読む/渡邉建志
 
しにして、次に長編に備えるというような話だったと思う。僕はその例え話がとても面白いと思ったのを覚えている。たしかにそうやって熱いのとつめたいのをいったりきたりしていると、いつまででも入っていられるのだ。作家活動も多分そうやって続けていくのだろう。話がずれたが、そうやって水風呂と温泉の間を行ったりきたりしながら読んでいたのが、今回の本題の立原道造詩集であった。温泉の中で朦朧とゆれる脳と体と心に、立原道造のやわらかいソネットが心地よかった。詩を読んで、気持ちよくなって、ときどき本を置いて風呂の木の縁に横になって夜空を見上げると、星がきれいだった。冷たくなる体に時々お湯をかけると気持ちよかった。これだけ
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