左川ちかアーカイブス/佐々宝砂
 
への恋心だという説があるけれど、そう考えることはすこし単純な気がする。ここにあるのはもっと強烈な「喪失」であるような気がする。失恋したとか、故郷をなくしたとか、そんなレベルの「喪失」ではない、もっと根本的な、まるで世界を失ってしまったかのような、そんな「喪失」。

 抜き差しならない感じがする。切実な感じがする。しかし湿ってはいない。詩の世界は清潔で、かわいている。何かが終わってしまったので、それで清潔なのかもしれない。その、終わってしまったところから、詩ははじまるのかもしれない。私は左川ちかの詩を読むたびにそうおもう。そして、私もやはり何かを永遠に失ってしまった人間なのだと、自嘲的でなく、
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