左川ちかアーカイブス/佐々宝砂
 
に強烈な「喪失」を読みとったからだとおもう。たとえば、下に引用する詩を読んでほしい。


「花咲ける大空に」

それはすべて人の眼である。
白くひびく言葉ではないか。
私は帽子をぬいでそれ等をいれよう。
空と海が無数の花弁(はなびら)をかくしてゐるやうに。
やがていつの日か青い魚やばら色の小鳥が私の顔をつき破る。
失つたものは再びかへつてこないだらう。


 青い魚もばら色の小鳥も顔をつき破るだけで、なくしたもののかわりにはならないのだ。無数の花弁のようにコトバを集めても、大切な何かは返ってこないのだ。左川ちかが何をなくしたのか、私は知らない。それは伊藤整への
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